エアロファシリティー株式会社

コラム

ヘリポート業界の動向、知識などの情報を記事にしています。

2022.12.22

~20th anniversary CD~ 01.Dance me to the end of love(哀しみのダンス)


エアロファシリティー創立20周年記念のCDの紹介
年老いた母と故川嶋信義さんと頑張ってくれている社員たちに
エアロファシリティー創立20周年の感謝をこめて
楽しい思い出もないわけでもないが、どうしても、つらかったこと、苦しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったことばかりが先に出てくる。この20年間で何度、涙し、怒り、落ち込んだことか。必死に、小さな会社の先頭を走ってきたつもりだった。
「苦しい」とは母には言えなかった。50年前から母は私の成長だけが楽しみのようであったから。母にはいつもカラ元気を出して接していた。元気な私を見て母は嬉しそうであった。母の悲しそうな顔は二度と見たくなかった。
故川嶋信義さん(元前田建設工業副社長)には「苦しい」と、たまに本音を吐いた。私は川嶋さんの前では虚勢をはらず、ありのままの自分を見せることができた。川嶋さんはその都度、私をその苦しさから逃れる方向に導いてくれた。「もうすぐ俺もヒマになるから、ジャズバーに連れて行ってくれよな」と会うたびに川嶋さんは言っていた。ジャズバーに行くこともなく、あっという間に天国へ召されてしまった。恩返しが何もできなかったことが辛い。
涙、怒り、落胆を社員たちに見せたことも多い。彼らは、そんな小さなリーダーを笑うこともなく、馬鹿にすることもなく、見放すこともなく、いつも懸命に支え続けてくれた。私は先頭を走ってきたつもりだったが実は社員たちに背中を押されながら一歩一歩足を前に出していただけのようだ。気付くと20年が経っていた。多くの方々に支えられて20年が経っていた。

 

01.Dance me to the end of love(哀しみのダンス)
エピソード9
当社にとっては莫大な費用をかけて米国のメーカーに設計・製造を依頼した商品があった。来年度から確実に売れるという見込みがついた頃、当社の担当課長が突然辞めた。後で知ったが米国の開発責任者もその会社を辞めていた。彼らは二人で結託し、新しい会社を作り、その商品を売り歩いていた。客には「エアロファシリティーから分社しました」と伝えていた。煮え湯を飲まされた。会社の存続の危機であった。「危機管理の甘かった私にも責任がある」・・・眠れない夜が続いた。
その危機をなんとか乗り越えた1年後の日曜日、久しぶりにCDショップに行った。たまたま手にしたのがマデリン・ペルーという女性シンガーのアルバム「ケアレス・ラブ」だった。人を恨み、倒産の危機に怯え、自分のふがいなさを悔やみ、運の悪さを嘆いていた。それらをやっと乗り越えられそうな時に出会ったのがこの曲。優しく、熱く、激しく、穏やか。

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